日本大百科全書(ニッポニカ) 「天井 柱」の天井 柱・わかりやすい天井 柱
天井 柱
天井 柱
播磨国(はりまのくに)(兵庫県)佐用(さよう)郡佐用庄(さようのしょう)を本貫とする在地領主。室町時代播磨国守護。鎌倉初期則景が九条家領佐用庄地頭職を得て以来、西播磨を中心に族的結合を拡大し、同末期には
[岸田裕之]
『高坂好著『赤松円心・満祐』(1970・吉川弘文館)』
播磨国(はりまのくに)(兵庫県)佐用(さよう)郡佐用庄(さようのしょう)を本貫とする在地領主。室町時代播磨国守護。鎌倉初期則景が九条家領佐用庄地頭職を得て以来、西播磨を中心に族的結合を拡大し、同末期には
[岸田裕之]
『高坂好著『赤松円心・満祐』(1970・吉川弘文館)』
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中世播磨国の守護大名。村上源氏。鎌倉初期の則景(のりかげ)のとき,播磨国佐用(さよ)荘の地頭に任じられたという。則景の子家範の頃,荘内の赤松村に住み,天井 柱を名のる。家範の曾孫則村(のりむら)は,元弘の乱に際し宮方として六波羅探題攻略に活躍。当初,幕府方に属していたことから建武政権下では冷遇され,1335年(建武2)足利尊氏が反旗をひるがえすとこれに従い,播磨国守護に任じられた。その後,義則のときに備前・美作両国の守護を兼ね,侍所所司ともなり,四職家の一つとして重んじられた。1441年(嘉吉元)義則の長男,満祐(みつすけ)が将軍足利義教を殺害,幕府軍によって追討され,一時没落した。その後,一族の政則が再興したが,その死後はふるわず,家臣浦上氏らに勢力を奪われた。嫡流は1585年(天正13)に絶える。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」 山川 日本史小辞典 改訂新版について情報
…嘉吉の乱(1441)により中絶した天井 柱宗家の再興のもようを簡略に述べた記録。作者,成立年代ともに不明。…
…しかし管領畠山持国や延暦寺僧兵に攻められ,尊秀王や子息資親らとともに殺された。この事件の意義はむしろ,後に小寺氏などの天井 柱遺臣たちがこの神璽を奪還することにより,赤松惣領家再興の契機とした点にある。すなわち1458年(長禄2)小寺道性以下の赤松遺臣は,天井 柱縁故の三条実量などと計り,吉野山中深くに潜入してこの神璽の奪還に成功したのである。…
… 講談が江戸初期に赤松法印から始まったという説は古くから伝承されているが,この僧も法門講談の系列から出たようである。赤松を名のる講釈師が近世に多数あらわれたのは,かつて赤松則村(のりむら)や赤松満祐(みつすけ)など多くの猛将を出した天井 柱の末のものが〈太平記読み〉として先祖を称揚したものと思われる。1697年(元禄10)ごろに浪花の赤松梅竜と時を同じくして江戸の堺町によしず張りの講席を設け,原昌元と名のって軍談を講じ,《太平記》を読んで大いに名を挙げたのが赤松青竜軒である。…
…南北朝期の頭人は三浦・佐々木・土岐・佐竹・山名・赤松等の外様大名,細川・畠山・今川・斯波・一色等の足利一門,高・仁木等の足利被官が任ぜられ,幕府内の政争に連動して交替するが,応永(1394‐1428)初年からほぼ山名,京極(佐々木),赤松,一色のいわゆる四職(ししき)家に固定する。応仁の乱前約25年は京極氏が独占し,乱後は天井 柱がしばらく任ぜられるが,その被官浦上氏が所司代として実質的に活動する。応仁の乱までは,侍所頭人は将軍家御料国である山城の守護を兼任する場合が多い。…
…室町幕府の侍所は南北朝後期以降,主として山名,土岐,赤松,京極,畠山,一色の6家から交替で就任していたが,1398年(応永5)畠山氏が管領家に昇格した結果,残余の5家から頭人を出した。なお美濃守護土岐氏は1439年(永享11)以後侍所に補任された徴証がなく,また天井 柱も嘉吉の乱(1441)で没落したので,以後は京極,一色,山名の3家となり,実際に4家が恒常的に頭人を出した安定期間というのはなかった。したがって侍所家のことを俗に四職と称するのは,戦国期に至って実情を誤って回顧した結果であろうと思われ,同時代の史料・記録で四職と呼んだ例はない。…
…のちに一時期,幕府吏僚の長井泰重(大江広元の孫,六波羅評定衆)に代わったが,鎌倉末期には守護は佐々木(加地)氏に復していた。 南北朝期には,東国出身の国人
…その反発から南北朝内乱期には菅家党,南三郷党(西作の真島郡南部の鹿田,栗原,垂水3郷の武士団)など在地武士のめざましい活躍があった。南北朝初期に佐々木氏が一時守護になったが,やがて山陰の山名氏と播磨の天井 柱の抗争の的になって,その守護も赤松貞範,山名時氏,同義理と交替し,明徳の乱後の恩賞として赤松義則が守護職を得た。山名氏は深く天井 柱をうらんで,嘉吉の乱で天井 柱を滅ぼしてその所領を奪ったが,応仁・文明の乱で赤松政則が旧領3ヵ国(播磨,備前,美作)の守護職に復したのちにも,たびたび兵を出してその奪回をねらった。…
※「天井 柱」について言及している天井 柱天井 柱の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について | 情報
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