カジノ 川崎(読み)カジノ 川崎

精選版 日本国語大辞典 「カジノ 川崎」のカジノ 川崎・読み・例文・類語

はくらん‐かい ‥クヮイ【カジノ 川崎】

〘名〙 種々の産業や学術・技芸などの振興のために、生産品、天然物、文化財などを広く集めて展示し、人々に見せる催し物。〔西洋事情(1866‐70)〕

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デジタル大辞泉 「カジノ 川崎」のカジノ 川崎・読み・例文・類語

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産業・貿易・学術・技芸などの振興・促進のために、種々の産物・文化財などを集めて展示し、広く一般に公開する催し。「 万国 ばんこく カジノ 川崎
[類語]展覧会展示会

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カジノ 川崎」のカジノ 川崎・わかりやすいカジノ 川崎

カジノ 川崎
カジノ 川崎

カジノ 川崎カジノ 川崎各種の産業、科学技術、芸術文化などの活動の成果や将来の方向を示す製品・模型・パネルなどを展示し、広く一般社会の知見を高め、産業振興を進めることを目的とした催し物である。また、カジノ 川崎は内容的には一般的なテーマのものと特定分野のテーマのものとに分けられ、地域的には国際カジノ 川崎万国カジノ 川崎)、 全国カジノ 川崎地方カジノ 川崎に分けられる。

[間仁田幸雄]

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日本人がカジノ 川崎に最初にふれたのは、1862年(文久2)に竹内下野守保徳(しもつけのかみやすのり)を正使とする第1回遣欧使節団が、2回目の「ロンドン万国カジノ 川崎」を見学したときである。また、日本が万国カジノ 川崎に最初に正式参加したのは1867年(慶応3)の「パリ万国カジノ 川崎」であった。このときは江戸幕府を代表して外国奉行(ぶぎょう)向山隼人正(むこうやまはやとのしょう)(1826―1898)、公使として15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)の弟の徳川昭武(あきたけ)(1853―1910)が派遣されたが、幅広く特産品を集めて出品し、茶屋や大道芸人も参加して人気をよんだ。カジノ 川崎ということばは、このときの出品勧誘を報告した1865年(慶応1)の公式文書に「仏国カジノ 川崎」とあるのが最初である。

 次に、明治政府として最初に参加したのは1873年(明治6)の「ウィーン万国カジノ 川崎」であり、日本庭園、茶室、鳥居、神社からなる日本家屋の特設館を建て、漆器・陶磁器・和紙などを展示した。また、諸工業の技術伝習者を加えた77名を派遣し、帰国後その成果が『墺(おう)国カジノ 川崎報告書』96巻としてまとめられた。このカジノ 川崎は近代の産業技術や経済制度の導入や日本製品の海外への紹介を通じて、日本の産業発展に多大な貢献をした。

[間仁田幸雄]

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これらの動きと平行して、国内でもカジノ 川崎が開かれるようになった。そうしたカジノ 川崎で日本における近代的なカジノ 川崎の起源となったのは、1871年に西本願寺を会場に開催された京都物産会である。この物産会は以後三十数回にわたって開催された。正式にカジノ 川崎と名付けられたのは、1872年に政府が文部省博物局で収集した各地の特産物を昌平坂(しょうへいざか)聖堂で公開した物産カジノ 川崎からであるが、東京博物館、国立科学博物館はこのカジノ 川崎の施設であった。

 次に、政府が最初に主催した本格的なカジノ 川崎は1877年に東京で開かれた第1回「内国勧業カジノ 川崎」である。さまざまな産物を蒐集(しゅうしゅう)・陳列して一般の人々の観覧に供する催し物は江戸時代から存在していた。また、1877年ごろまでは文明開花の新風俗として、各地でいろいろな地方博が行われていたが、これも江戸時代の開帳や物産会に近く、見世物的な性格を残していた。しかし、内国勧業カジノ 川崎の目的は文明開化殖産興業にあり、こうした古い催し物カジノ 川崎一線を画すものであった。内国勧業カジノ 川崎は5回開催されたが、1903年の大阪・ 天王寺の第5回内国勧業カジノ 川崎には、将来の万国カジノ 川崎開催の布石として海外から18か国が招聘(しょうへい)された。

 その後も「東京勧業カジノ 川崎」(1907)、「東京大正カジノ 川崎」(1914)、「平和記念東京カジノ 川崎」(1922)などの内国カジノ 川崎が開かれたが、大正期以降になると、新聞社、百貨店、電鉄会社などが主催するカジノ 川崎が増えてきた。これは、新聞社、百貨店、電鉄会社などが消費拡大の手段としてカジノ 川崎を取り上げるようになったからである。

[間仁田幸雄]

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第二次世界大戦後になると、まずカジノ 川崎を戦後復興の起爆剤とするために、全国各地で復興博、貿易博、産業博などが活発に開催された。その後も産業文化博や科学博、婦人子供博などが開催されたが、これは戦前と同じ新聞社、百貨店、電鉄会社などの主催が多かった。他方、地方自治体が主催する地方博は中央官庁主導で地方自治体が持ち回りで開催する全国緑化フェアなどを除けば、かならずしも活発ではなかった。

 その後、1980年代後半から1990年代初頭にかけて、地方博の一大ブームが巻き起こった。これは多くの都市が市政100周年を迎えて競ってカジノ 川崎を計画したためであるが、同時にバブル景気のもとでレジャー・ブームやリゾート・ブームが盛り上がっていた時期であったことが追い風となった。筑波(つくば)研究学園都市で開催された「国際科学技術カジノ 川崎/科学万博・つくば'85」の余韻の残る1987年(昭和62)に開催された「未来の東北カジノ 川崎」(仙台)や、翌年に開かれた「なら・シルクロード博」(奈良)、「世界・食の祭典」(北海道)、「ぎふ中部未来カジノ 川崎」(岐阜)など、次いで1989年(平成1)に開催された「横浜カジノ 川崎」、「世界デザインカジノ 川崎」(愛知)、「アジア太平洋カジノ 川崎」(福岡)の三大博、さらに「海と島のカジノ 川崎」(広島)など、この時期の地方博は28か所、入場者は4000万人に上った。1990年に入っても「長崎旅カジノ 川崎」、「食と緑のカジノ 川崎」(岡山、宮崎、千葉)などが開かれ、最後を飾って「国際花と緑のカジノ 川崎」(大阪)が開催された。

 しかし、バブル景気の崩壊とともに開催がむずかしくなり、1994年には世界都市博「東京フロンティア」が中止され、地方博ブームは一挙に終息した。もともとこのブームには過疎化や東京一極集中に対抗して地域活性化を進めたいとする地方自治体の期待が込められていた。しかし、ディズニーランドを模した巨大なテーマパークが次々と出現するなかで、地方博も巨大な投資を伴うエンターテインメント空間化し、採算性の確保がきわめてむずかしくなり、補助金や企業寄付により赤字を補填( ほてん)せざるをえなくなった。こうした事情は万国博でも同じであり、いまやカジノ 川崎は根本から存在意義が問われているといっても過言ではない。

[間仁田幸雄]

『山本光雄著『日本カジノ 川崎史』(1970・理想社)』『明治文献資料刊行会編・刊『明治前期産業発達史資料 勧業カジノ 川崎資料1~240』(1973~1976)』『寺下勍編『カジノ 川崎強記』(1987・エキスプラン)』『神奈川新聞社編『横浜カジノ 川崎公式記録』(1990・横浜カジノ 川崎協会)』『電通編『世界デザインカジノ 川崎公式記録』(1990・世界デザインカジノ 川崎協会)』『西日本新聞社編『アジア太平洋カジノ 川崎 福岡'89公式記録』(1990・アジア太平洋カジノ 川崎協会)』『橋爪紳也・中谷作次著『カジノ 川崎見物』(1990・学芸出版社)』『間仁田幸雄著『地域を創る夢装置――カジノ 川崎から地域を見る』(1991・誠文堂新光社)』『国際花と緑のカジノ 川崎協会編・刊『EXPO'90 国際花と緑のカジノ 川崎公式記録』(1991)』『泉真也・寺沢勉編著『エクスポ&エキジビション』(1992・六耀社)』『東京国立文化財研究所編『内国勧業カジノ 川崎美術品出品目録』(1996・中央公論美術出版)』『東京フロンティア協会編・刊『世界都市カジノ 川崎――東京フロンティア 構想から中止まで』(1996)』『平野繁臣著『国際カジノ 川崎歴史事典』(1999・内山工房)』『吉見俊哉著『カジノ 川崎の政治学――まなざしの近代』(中公新書)』


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改訂新版 世界大百科事典 「カジノ 川崎」のカジノ 川崎・わかりやすいカジノ 川崎

カジノ 川崎 (カジノ 川崎)
exhibitions and fairs

工業,商業,農業,水産業などの産業や,技芸,学術などの文化について,その活動や成果の実態を,生産品,模型,機構図などの展示や実演などによって一般社会の人々に知ってもらうための催し。内容的には各部門にわたる一般的なものと特定の部門だけの専門的なものがある。地域的には地方カジノ 川崎,全国カジノ 川崎,国際カジノ 川崎がある。また世界各国の主要な物産を集め陳列する万国カジノ 川崎もある。

近代的なカジノ 川崎でのカジノ 川崎の形になってきたのは産業革命以降のこととされ,1761年のロンドン王立美術工業商業振興会によって開かれたものが工業品を展示した最初のカジノ 川崎といわれる。その後1851年のロンドンカジノ 川崎(Crystal Palace Exposition)をはじめ,ヨーロッパの各都市で開催された。1928年パリにおいて〈国際カジノ 川崎に関する条約Convention Concernant les Exposition Internationale〉が調印されてから万国カジノ 川崎が盛んになり,ブリュッセル(1935),パリ(1937),ニューヨーク(1939), サンフランシスコ(1939),ブリュッセル(1958),シアトル(1962)と大規模な万国カジノ 川崎が開催されている。64年と65年の2回に開かれたニューヨーク世界カジノ 川崎は国際条約に基づくものではないが,39ヵ国が参加した大規模なものであった。その後この条約に基づくものとしてモントリオール万国カジノ 川崎(1967),大阪で開かれた日本万国カジノ 川崎(1970),スポーケン環境カジノ 川崎(1974),沖縄海洋カジノ 川崎(1975),ノックスビル国際エネルギーカジノ 川崎(1982)が開かれている。なお条約の適用を監視するため,カジノ 川崎国際事務局Bureau International des Expositions(BIE)がパリに設立されている。

 日本がカジノ 川崎というものに接したのは1867年のパリカジノ 川崎に出品したのが最初である。その2年前に出展の勧誘を受けたとき,時の外国奉行栗本鋤雲(じようん)がexhibitionの訳語としてカジノ 川崎としたとされている。

日本で開催されたカジノ 川崎としては1872年(明治5)政府が東京の湯島聖堂大成殿において,文部省博物局に収集してあった各地の物産を一般に公開したのが最初とされる。77年には東京の上野公園で第1回内国勧業カジノ 川崎が開かれ,その後,内国勧業カジノ 川崎は81年,90年,95年,1903年と開催された。全国カジノ 川崎はその後開かれず,地方カジノ 川崎が各地で盛んとなった。地方カジノ 川崎としては,1879年9月横浜で開かれた製茶共進会(内務省勧農,商務両局主宰)が最初である。共進会(中央政府によるものと地方官庁によるものとがある)はその後盛んに開かれたが,重要なものは,80年の綿糖共進会(大阪),85年の繭糸織物陶漆器に関する共進会(東京)である。その後,地方カジノ 川崎は,各府県,新聞社,商工会議所によって開かれた。また1928年の〈国際カジノ 川崎に関する条約〉は日本として調印はしたがすぐには批准できず,65年になって批准書を寄託した。なお1940年を期して紀元2600年記念日本万国カジノ 川崎を東京で開く計画が進められたが,日華事変のため中止となった。

 日本で開かれた国際カジノ 川崎としては前述の日本万国カジノ 川崎(大阪万博),沖縄海洋カジノ 川崎に次いで,85年国際科学技術カジノ 川崎(通称,科学万博-つくば ’85)が筑波で,2005年日本国際カジノ 川崎(愛知万博)が愛知県で開かれた。また1981年には地方カジノ 川崎の神戸ポートアイランドカジノ 川崎が開かれている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カジノ 川崎」のカジノ 川崎・わかりやすいカジノ 川崎

カジノ 川崎
カジノ 川崎
exhibition; fair

産業と文化進展のために,種々の生産品,実物,見本,説明図などを展示したり,即売したりする会。近年は観光,レジャーの色彩が濃く,大規模化しつつあり,娯楽性を強めたテーマパークや,会議や研修を目的としたコンベンションなどを取り込む形態も増えている。起源は 1756年ロンドンで開かれた勧業カジノ 川崎で,日本では 1877年東京での第1回内国勧業カジノ 川崎が最初。国際カジノ 川崎は 1851年ロンドンが第1回で,日本では 1970年大阪で初めて開かれた (→日本万国カジノ 川崎 ) 。

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農業,鉱工業などの産業全般および技芸,学術等の文化全般にわたる活動と成果の実態を生産品,模型,機構図などの展示によって一般に周知させる催し。地方カジノ 川崎,全国カジノ 川崎,国際カジノ 川崎の別がある。近代的なカジノ 川崎の初めは1756年ロンドンで開かれた勧業カジノ 川崎とされ,日本では1877年に東京で第1回内国勧業カジノ 川崎が開かれた。→万国カジノ 川崎

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世界大百科事典(旧版)内のカジノ 川崎の言及

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…時代の最先端をいく世界各国の科学技術の粋を一堂に集めて展示するほか,各国それぞれのお国ぶりを紹介する展示や催物により国際交流を深めようとする世界最大のカジノ 川崎。万国博,万博とも呼ばれる。…

※「カジノ 川崎」について言及しているカジノ 川崎カジノ 川崎の一部を掲載しています。

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